兼務神社
高野神社の宮司が、下記神社もご奉仕しております。
ご自身の氏神様がご不明な場合や氏神様での御祈祷希望など、ご遠慮なくお問い合わせ下さい。
お問い合わせ先 077-553-1037 高野神社社務所
◆三輪神社【大橋】
鎮座地 滋賀県栗東市大橋一丁目6-1
御祭神 大国主命
御由緒 明細書によれば創祀年代不詳であるが、社記によると天平十六年に勧請とも伝えられ、文徳天皇仁寿元年に正六位上の神位を贈られている。又縁起書に宇多天皇十六代の後胤従四位伊賀守玄信歩が大橋の地に住居の時、三輪明神に御祈誓ありて奥方御懐妊せられ、嘉元二年男児誕生されたが、不思議な事に三輪の二字明らかに顕われた、これ全く明神の御化身であると悦ばれて三輪若丸と名付けられた、この若丸は建武元年に逝去され大橋の里に葬られたとある。当社の沿革は大永三年修造、天文十二年に改造、慶長年間それまで三輪の森(北五丁余)に鎮座されたのを現在地に御遷座する。天保十年改造して現在に至る。
明治九年村社に加列、大正四年神饌幣帛料供進指定。
◆白鬚神社【小野】
鎮座地 滋賀県栗東市小野149
御祭神 猿田彦大神
御由緒 明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると承知二年僧安交小野寺開基の時鎮守として勧請したと伝えられる。寛和元年小野頼行社殿を修し小野村の氏神と崇敬するようになった。また伝説に、此地の土民が湖西鵜川村の白鬚明神社を勧請せんとして湖に舟を漕ぎ出したところ、湖中より青石が飛びあがり舟に落ちた、土民これ明神の霊石なりと持帰って御神体としたとある。
明治九年村社に加列。
◆寿泉神社【伊勢落】
鎮座地 滋賀県栗東市伊勢落69
御祭神 瓊瓊杵尊
御由緒 当社はもと十禅師社と称し、十禅師大権現と崇めた。村上天皇天暦七年左大史小槻宿禰が金名山再建に与り、その護法神として日吉十禅師を勧請したと伝えられる。境内地に古墳が多くある。
明治九年村社に加列。
◆岩上神社【伊勢落】
鎮座地 滋賀県栗東市伊勢落265
御祭神 事代主神
御由緒 創祀年代不詳であるが、社伝によると天正六年日向山の頂上に屹立した霊岩が豪雨のため東の谷底へ墜落した、伊勢大路村の村民等この霊岩を崇め、慶長十六年にこの霊岩上に小祠を建立し、事代主神を奉斎して岩上社と尊崇し、更に永正五年に現在地に奉遷したと伝える。
◆天満神社【宅屋】
鎮座地 滋賀県栗東市出庭800
御祭神 菅原道真公
御由緒 創祀は天正十一年と伝えられる。
◆天満神社【中】
鎮座地 滋賀県栗東市出庭344
御祭神 罔象比賣神・菅原道真公
御由緒 明細書によれば創祀年代不詳であるが、一説によると寛治六年出羽介橘宣幸が野洲川より田用水路を開き、守護神として岡象比売神を勧請し菅原道真公を配祀して崇敬したと伝えられる。
◆稲荷神社【手原】
鎮座地 滋賀県栗東市手原三丁目9-1
御祭神 倉稲魂命
御由緒 明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると寛元三年馬渕広政が此地を領し当社を勧請したとある。広政の子孫手原氏も代々当社を崇敬した。文明三年里内為経社殿を修し神域を拡張する。
この里内氏も手原氏の同族である。天文四年手原重政武運を祈り大に霊験を得たとして益益尊崇を厚くした。慶長十七年宮城丹波守豊盛社殿を再建し、明治二年更に改築して現在に至る。当社はまた里中稲荷大明神とも笠松の宮とも称した、峨峰文集に「路傍有松、其形如傘號傘松其奥有稲荷社」と記され、又東海道名所記に「左の方に稲荷の祠あり老松ありて傘の如し、傘松の宮と云ふ」と記され、街道に添っていた為江戸時代には傘松の名も高かったと考えられる。
明治十四年村社に加列。
◆出庭神社【出庭】
鎮座地 滋賀県栗東市出庭250
御祭神 宇迦之御魂神・彦太忍信命
御由緒 堀河院の御宇、羽洲主出羽介橘宣幸が、宇迦之御魂神、彦太忍信命の二座を勧請し、守護神としたと伝えられる。尚例祭には古くより宮座の厳粛な儀式があり、氏子が年寄組と若衆組の二組に別れて、年々交代で渡し番(神幸祭)を勤める。又出庭の餅搗きと称して当家神主が例祭前日に神饌を搗く神事がある。明治九年村社に加列。
大正四年神饌幣帛料供進指定。
◆井口天神社【辻】
鎮座地 滋賀県栗東市辻236
御祭神 罔象比賣神 〔配祀神〕菅原道真公
御由緒 堀川天皇寛治六年に出庭介橘宣幸が此の土地に来て、久保郷高野荘を拝領し、田地を開拓して野洲川より養水を引き、その守護神として罔象比売神を勧請したのにはじまる。のち後柏原天皇の御宇、永正三年に宣幸十五世の孫久保石見守義俊が更に野洲川より水脈を通じ、十村に流した。この折信仰する菅公の霊を勧請し当社に合祀したと伝えられる。尚当社の鳥居は、他に類を見ない鋳物製である。
明治九年村社に加列、大正十五年神饌幣帛料供進指定。